この週末に読み終えた。じつは12日(土)の午後にコンサート出演があり、京都への行き帰りの電車の中、(打ち上げの二次会が遅くなり)泊めてもらった家のふとんの中で読み進み、本日の午後、自宅で村上自身による全集のための「解題」まで読み通した。
さて、前回書いたが、「地下鉄サリン事件」前後数年間にわたり日本を離れていた僕はその日(1995年3月20日)に東京の地下鉄で何が起こったのかを知りたくて~これは筆者の村上春樹と同じだ~新刊を貪るようにして読んだ。そのときは読み通すだけで「ふ~ん、大変な事件だったんだ」的な受け止め方で終わっていたと思う。
今回はそれから14年半、事件発生から16年以上、経過して再読することになった。改めて被害者の方々の「証言」を読むと前回より心にずしりと残るものがあった。当たり前のことだが、地下鉄に乗っていた人々のそれぞれにそれぞれの仕事・人生があり、それぞれの事情や(程度の差こそあれ)悩みなどを抱えていた。僕も約10年前に前の会社を辞め、新しい会社に変わったのでその辺のところは良く分かるようになった。ひょっとすると、ただ歳をとっただけかもしれないが…
たとえば、事件の翌日に離婚話を持ち出し、別れてしまった人がいる。また、連休の谷間なのに会議の準備なんかでいつもより早めに出社しようとして事件に遭遇した人もいる。僕は前の会社の時は、奈良から大阪の本社に通っている時はたいてい始業(8時半)の5分ぐらい前に滑り込みで出社していた。朝7時前に家を出てそうなのだが、殺人的な東京都心の通勤ラッシュに比べるとずいぶん楽な通勤だった。あえて途中から始発電車で座っていこうという気はしなかった。同居の義父はそうしていたようだが、これも人それぞれである。電車の中で睡眠をとる人、早めに出社して始業前に仕事の準備をする人。僕は海外勤務で車通勤のときも結構ぎりぎりで出社していたなぁ。今は始業(8時)の20~30分ぐらい前に着くように車で出社する(渋滞で遅刻のおそれもあるし、朝早いほどスムーズに走れる)のだが、始業前は経済新聞に目を通したりして頭の準備運動をするぐらいだ。仕事の資料を見始めたり、というのはまずない。敢えてしないようにしている、といった方が良いだろう。
この事件で被害者の多くはサリンガスを吸ってしまったために気分が悪くなり、縮瞳やめまいで症状の重い人は動けなくなってしまう。最初は原因がみんな分からないので、てんかんとか貧血だと思ったようだ。なんとか歩いた人も気分が悪くなり、その辺でうずくまると酔っぱらいか二日酔いのオジサンと間違えられ、周りの人が避けるように立ち去るなど、都会でありそうな光景だ。見知らぬ他人に関わりたくないと… 苦しんでいる人を介抱しようと長時間、駅内外の現場にいた人が何らかの形で被害を受け後遺症に苦しんだり、現代を象徴するような(ずいぶん前からあるのかもしれないが)話だ。地下鉄当局や消防、警察の指揮系統が混乱していて機能しなかった、というのはきっとやむを得ないことだったんだろう。
救急車など出払ってしまって、機転を利かせた人たちが通りすがりの一般の車を止めて患者を病院などへ搬送したとのことである。こういった自発的な行動も緊急時には大切なことだろうと思う。自分など、たとえば大阪の地下鉄や鉄道でこの種の事件が発生したら、どんな行動をとるだろうか?と自問する。かつて電車通勤していた頃は、蒸し暑い車内で率先して窓を開けたり、イヤホンから音の漏れている人(若者ではなかった)に注意したものだが… そんな話を家ですると、妻からは「世の中にはいろんな人がいるから、自分の身を守るために気をつけてね」と心配されたものだ。他の客に注意して、ホームに突き落とされたりナイフで刺されたとかいう事件があったから…
この事件が起こった1995年以降、神戸の児童殺傷事件があったり、和歌山の毒物入りカレー事件があったり、海外で生活している僕たちにとって「日本も変わってきたなぁ」と感じる時代だった。「援助交際」や「ノーパンしゃぶしゃぶ」など、理解しがたい言葉が日本から伝わってくる頃でもあった。カナダから帰国して13年になる。今年は震災・津波・台風などの自然災害、また原発事故の問題が発生し、いまだ収束までしっかりとした目処が立たない状況だ。
サリン事件の被害者の後遺症などはその後どうなんだろうか? そして被害で亡くなった方の娘さんは元気に育ったのだろうか? しっかりとした奥さんのようだったから、きっと立派に育てられたのであろう。
麻原彰晃の裁判は終わっていない(※)し「オウム」の活動は未だに続いているという。現代人の病める心と新興宗教の問題。ふだんはほとんど気にしないのだが、心の底のもやもやが晴れない日々が続きそうだ。まだ、問題はほとんど解決していない。
(※)麻原彰晃(本名:松本智津夫)自身の裁判は最高裁で死刑が確定し、いまだに逃亡している容疑者がいるものの、刑事事件としての「オウム裁判」は来週にも集結するとのことである。(2011.11.19加筆)
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