書斎の本棚におさまっていたこの本がふと気になってまた読んでみた。
村上春樹の1992年10月発表の小説。この頃、僕はアメリカの会社に出向していて、この本は米国NJ州のヤオハン(マンハッタンからハドソン川を渡ったところにあり、日本食料品が豊富にそろっていて週末はとくに賑わっていたのだが、とうの昔に経営破綻により人手に渡った)の敷地内にあった紀伊國屋書店で買った。$19.50の値札が貼ってあるが、当時は1ドル120円ぐらいだろうか? 日本で買う5割増しぐらいの値段だったと思う。さて、
主人公ハジメと小学生時代にレコードを一緒に聴いた女友達「島本さん」とのかかわりが物語の中心になるのだが、僕としては村上作品の中でもかなり好きなものだ。中学校に上がる前にハジメが転校して会わなくなり、その25年後ぐらい後に再会する。(じつは、その間にもきわどいエピソードがあり)そして、再会した二人の間で…、と読者をドキドキさせるが、僕の気になるのはハジメの高校時代のガールフレンド「イズミ」の話だ。
高校3年生の時、ハジメはイズミに隠れて彼女の大学生の従姉と何度も性的関係をもち、イズミを深く傷つけてしまう。そして、東京の大学に進んでからは顔を合わすこともなかった。あるとき当時の同級生の男からイズミについての奇妙な話を聞く。彼の妹によると「近所の子どもたちは彼女のことを怖がっている」というのだ。顔には「表情がない」らしい。そしてハジメもあるときイズミを東京の町中で見かけてショックを受ける。
このエピソードは僕にある女性のことを思い出させる。僕が25歳ぐらいの時に20歳の女の子の心を深く傷つけてしまった。僕が初めて抱いた女の子だ。村上小説のようにではない(当たり前だ)が、ふとしたつまらない事件のあと彼女は僕の顔を見ても目も合わさないという関係になった。そんなに僕のことが嫌いになったのに、かつて一緒に乗っていた通勤電車を彼女は変えず、ただ口は一切きかなかった。僕は彼女の姿を目で追うばかりだったが、当時は女心は計り知れないものだと思っていた。
彼女とのデートで、芦屋あたりにある彼女が小さいときに通ったという「青い鳥幼稚園」を探しに行ったことがある。いまでも神戸方面に出かけるたびに彼女のことを思い出し、心が痛む。あるとき彼女の女友達に「その後、銀行員と結婚し、子どももいて川崎あたりに住んでいる」と聞いた。幸せに暮らしていて、笑顔の素敵なお母さんであればよいが。再会するようなことでもあれば、ふつうに昔話がしたい、というのは男の我が儘であろうか。
ところで、「国境の南」と聞いても、"The End of the World" (『この世の果てまで』)を思い出して口ずさんでしまうのはなぜだろうか? 小学生の時、この曲を聴いて歌詞の意味は分からないが「なんて素敵な歌だろう」って思った。
この作品はオレも読んだ。
で、結局作者は何を言いたかったのか?
自分にとってかけがえのない人たち(妻、子ども)を大切にするべき(ただし、決して教訓めいてはいない)ということなのか。あるいはいつもの「それは読者がそれぞれで感じてくれれば良いこと」という村上氏のいつもの考えなのか。
そもそも小説を読む際、いちいち作者の主張・作品の背景に潜むものを感じなければならない、というものでなないが、どうも彼の作品にはそんな読後感のものが多いな。
でも逆にそれが何とも今風で、人気がある理由かね。
投稿情報: つのぶえ | 2011年10 月 3日 (月) 01:12
島本さんは「僕」にとって忘れえない女性だが、彼女は「あちら側の世界」に行くべき人物であり、死ぬつもりでなければ彼女と一緒になれない。
「こちら側の世界」に生きる者は、目の前の現実から逃避せず、苦しくてもなんとか折り合いをつけて生きていかねばならない。
みたいなのがムラカミ小説の世界ですかね…
今年のノーベル賞の発表を前に村上春樹に関する記事がマスコミにまた出てきているようです。世界中に読者が広がっていることは事実だし、とくにノーベル賞を受賞しなくてもいいのかなぁ、と最近思います。
投稿情報: inukshuk | 2011年10 月 3日 (月) 12:17
>「こちら側の世界」に生きる者は、目の前の現実から逃避せず、苦しくてもなんとか折り合いをつけて生きていかねばならない。みたいなのがムラカミ小説の世界ですかね…
なるほど、結局そこに来るのか。
「ノルウェイの森」と同じようなテーマやな。
さすがに、彼のいろんな作品を読んでるだけのことはある。
>今年のノーベル賞の発表を前に村上春樹に関する記事がマスコミにまた出てきているようです。
これはもう秋の風物詩化しているなあ。今年はどうだろうか。
阪神みたいに「今年もやっぱり...」というのはそろそろカンベンしてもらいたいもんだ。
投稿情報: つのぶえ | 2011年10 月 3日 (月) 19:02
今朝の新聞によると、今年のノーベル文学賞受賞者の発表は6日(あさって)だそうだ。
またまた村上春樹の名前も下馬評にあがっているようだが、もし彼が受賞するとすると受賞理由はどんなだろう?
民族物語作家や民族詩人などたち他の候補者に対して、「現代人の不安や世界の暴力性とそれに立ち向かう人間の愛の美しさを小説の形で民族性を超えて世界中の人々の心に訴えかけ…」なんてのはアドヴァンテージになるんだろうか?
「今年もやっぱり…」じゃないかと予想します。予想が外れれば、それはまた慶賀すべきことだけど。ハルキストは「そんなのどっちでもいいや」と思っているんじゃないかな。
投稿情報: inukshuk | 2011年10 月 4日 (火) 18:34
>「そんなのどっちでもいいや」と思っているんじゃないかな。
そうですな。
単純に「読み易く、面白いから」じゃ、やぱりアカンのかな。それなりのタイソウな理由をつけないと。
それよりも、受賞が決まったらめったに人前に姿を表さない彼が世間の前に「引きずり出される」んだろうなあ、ということが頭に浮かぶ。
あと受賞のセレモニーで講演をしなきゃいけない。川端康成の「美しい日本の私」みたいな後世に残るものになるのかどうかも楽しみ、楽しみ。
投稿情報: つのぶえ | 2011年10 月 4日 (火) 20:39