ネットで検索していると、この映画についての興味ある解説に行き当たった。いわく、
幼馴染みのマリアをあまりに愛していた夫イヴァン(前の記事では「イワン」と表記)は彼女をベッドで抱くことができず、ついには彼女のもとを去ってしまう。その後、マリアは行きずりの歌手と一夜だけを過ごし(彼はマリアが処女であったことに驚くのだが)子供を身ごもってしまう。やがて、マリアはイヴァンの居場所を捜しあて、大きなおなかを抱えて訪ねて行くが、つれなく追い返されてしまう。そして件の歌手の登場。酒場でイヴァンやその仲間と出会った歌手はイヴァンがマリアの夫だとは知らずに「その夜」のことを語る。イヴァンは黙って彼を殴り倒す・・・ そして、イヴァンの父が息子を連れ戻しに来て、イヴァンはマリアのもとへ、、、 ふたりは再び(あるいは初めて)結ばれ、赤ん坊とともに平和な生活のスタートを切る、、、
これが「処女懐胎」だというのだ。僕も今回はじめて「ひょっとして」という印象を持った。彼女の名前は「マリア」。イエス・キリストの母。キリスト教世界では当然の連想・発想なのであろう。先日パイプオルガンの伴奏で歌ったエルガーの "Ave Verum" でもまさにクライマックスで「(処女)マリアの息子、イエス」という表現であった。
何度か記事にした「1Q84」でも「青豆」が「ふかえり」を通して「処女懐胎」みたいなことになっちゃうんだよなぁ。
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