7月22日の日曜日の午後4時過ぎ、近隣の総合病院の病室で義母を看取った。満90歳だった。
妻の両親と同居を始めたのが1991年の2月のこと。その年のうちにアメリカ駐在が決まり、結局カナダへも転任し、帰国したのが1998年の10月。実際の同居期間は約20年になる。病気の多い人で、心臓、腎臓も悪かったが、最近では糖尿病を原因とする疾患があった。リウマチにも苦しんでいたが、足のむくみがひどかった。6月下旬、僕の誕生日のすぐ後、家の中で立てなくなって救急車で病院に搬送された。いわゆる「敗血症」と診断され、翌日は他の総合病院に移送されて、緊急に悪い足の切開手術。手術は成功したがICUから出られる確率は40%とのことで近親者は病院に呼ばれた。
そこからは医者が驚くほどの回復を見せ、一般の病室に移り、経過も良好のためしばらく様子を見てから元の病院に移った。ただし完治のためには足を切断する必要があるとのこと。さもなければ余命半年ほど、といわれたが、誰もそんな手術は望まず緩和ケアを希望した。しばらくは食欲もあったようだが、急に元気がなくなって口から栄養がとれなくなり、点滴もできない状態だった。それから3日ぐらいだったろうか。医師からは「枯れるように」命が消えると言われていたようだが、まさにそのように息が浅くなってきて、夫・二人の娘・三人の孫に見守られて息を引き取った。そこに血の繫がりのない僕が立ち会った訳だが、自分自身の両親・祖母、そして50年ぐらい前の祖父もいわゆる「最後の瞬間」には立ち会えていなかった。
以前から「ここで」と決めていたセレモニーホールに連絡し段取りを決めた。遺体を病院に引き取りに来てもらって、自宅前経由(親しいご近所さんに顔を見てもらった)でホールに向かい打ち合わせ。翌日の遺体の処置(エンバーミング)に時間がかかるとのことで、通夜式は火曜日の夜、告別式は水曜日の昼に決まった。このあたりは相手がプロなので話がスムーズに進む。あとは祭壇をどうするかなどの詳細を遺族の希望を踏まえて決める。義父が92歳と高齢のため、僕の妻が故人の長女なので喪主を務めることになった。他の費用を削ってでもお花は豪華に、とカサブランカを棺の前に飾ってもらうことにした。
一連の葬儀は終わったが、後片付けが大変。昨日(木曜日)から義理の妹が中心になって不要品の片付けをしている。
最近のコメント