ここでちょっと話題を変えるが… 先日アップした「忍性さん」の記事を書くにあたり、地元の情報を検索していたところ、意外なテーマに行き当たった。
それは「大和川の水運」。つまり、そう遠くない時代の明治初期まで、大和川を遡って物資が大阪から奈良盆地、しかも僕が今住んでいるあたりまで運ばれていたということだ。僕が生まれ育ったのは大和三山の一つの畝傍山の近くだったが、近くに川は流れておらず、家の裏を流れる水路ぐらいしか水には馴染みがなかった。小学校時代に学校から先・国道の向こうに飛鳥川が流れていて、仲良くなった同級生を自転車で訪ねて行って橋を渡る時とか、北の別の校区にあったそろばん塾に雨の日にバスで行く時、停留所からの道で川を通り過ぎた(これも飛鳥川)くらいだ。海なし県にして川からも遠い生活環境… 逆に近くには森林が多く、夏の間などは隣の同級生とセミやクワガタなど昆虫採集に走り回っていたものだ。いまから考えると辺りの森林はたしか「歴史的風土保存地区」に指定されており、特別な環境で育ったのだなぁ、という感慨がある。
さて、本題。自宅からJR法隆寺駅に行く途中に広瀬神社の前を通り、大和川を渡る「御幸橋」を通るのだが、ネットで見つけた資料 http://www.library.pref.nara.jp/supporter/2015kikaku/10_yamatogawa/大和川の水運.pdf
によると、この辺りに船着き場があったというのだ。しかも支流を遡って(家の近くで)馴染みのある天理市の嘉幡(初瀬川)や田原本町の松本(飛鳥川)まで船が来たという。残念ながら「大和の大坂」といわれるほど栄えたという田原本町の今里(寺川)は道路が狭そうで、車で集落に入り込んだことがないのだが…
奈良県の生まれ育ちではあるが、このジャンルの話は学校教育では教わらなかった気がする。郷土の歴史・地理なんかを習う小中学校は大和三山のあるK市畝傍山のエリアなので…かもしれない。でも自分にとって、この「川の水運」の話は「へえぇ~」の世界だ。さらに、古代は「奈良湖」というべきものがあって、奈良盆地全体が湿地帯だった、なんて話を聞くと、久々に知識欲をくすぐられる思いがした。
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