朝刊を見て驚いた。まず朝日新聞の「天声人語」にそのことが書いてあって、社会面に東京オリンピック当時の写真とともに記事が載っていた。癌のため故郷のプラハで亡くなったのは8月30日のことだという。
おりしも体操男子団体の金などメダルラッシュに沸いたオデジャネイロ五輪が閉幕して一週間あまりが経過し、世の中が熱狂から落ち着きを取り戻し、あるいは余韻に浸る時期に…
「オリンピックの名花」た讃えられる彼女だが、ボクは東京オリンピックが開催された頃は満6歳。幼稚園児でスポーツ鑑賞をするには小さすぎた。東京五輪の思い出は、親に(あるいはおじいちゃんに)連れられて聖火リレーをこの目で見たこと。いまも当時に近い形で残っているが、近鉄電車をまたぐ高架道路の沿道で日の丸を振った記憶がある。語り継がれる柔道のヘーシンクの金メダルや「東洋の魔女」の女子バレー、国立競技場でマラソンのゴール直前にヒートリーに抜かれる円谷選手の姿などは後になってTVの映像で見たに過ぎない。
このことは女子体操のヴェラ・チャスラフスカについてもそうなのだが、東京大会の次の1968年メキシゴ五輪での姿はリアルタイムで自宅で見た白黒TVの映像が目に焼き付いている。ゆかや平均台での優美な動き… のちに出てきたコマネチたちとは別次元の美しさだ。手足の長さが印象に残っているが、ネット情報によると身長は160cm。そんなに大きくなかったんだ。
「東京の花」とも呼ばれ人気者となり(※)、メキシゴ五輪でも活躍した旧チェコスロバキアのヴェラだが、その後は自分の意思を貫いた(メキシコ五輪の時でさえ直前の「プラハ侵攻」に抗議して黒いレオタードで演技したという)ためソ連支配の政治に翻弄される。このことはみなさんご存じだろうから詳しくは書かない。ソ連圏が崩壊すると彼女は名誉回復し復権。大統領顧問も務めた。
日本を愛した彼女が2か月前の朝日新聞のインタビューに対して、2020年の東京オリンピックについて「雲の上から手を振るわ」と答えたとのこと。どんな思いだったか考えると心にじんと来る。そんな自分の死を覚悟する時がいつかこの身に来るのだろうか…
(※)これで連想するのが、「札幌の恋人」と呼ばれたフィギュアスケート女子のジャネット・リン。1970年の札幌冬季オリンピックで活躍し、フリー演技で尻もちをつきながら銅メダル。この時ボクは中学生になっていた。この時代の話はまた別の記事で…
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