今週の月曜日は大雨だったが、郵便受けに出身中学校の同窓会開催に関する往復はがきが入っていた。△△市立〇〇中学校「昭和48年卒業同窓会」とある。
この大々的な催しが始まったのは十数年前のことだ。40歳を過ぎて中年の域に達する頃。14年前の3月に会社を「選択定年」し、現在勤める会社に入社する直前に参加したのを覚えているが、これがその学年同窓会の初回だったのか、第2回だったのか不確かだ。最近は毎年のように集まっていて、幹事代表は地元で会社社長をやっているT坊だ。
一学年5クラスの公立中学校で総勢約200名。このうち最初の頃に参加したのは1/3くらいだったろうか? 記念写真もあるはずだが、所在不明… ある時にはハイキングの途中で行方不明になった自分の父の顔写真入りチラシを持ってきた女性も参加した。認知症があったとか… 我々はそんな時代に生きている。
ところで今回も△△市内の某ホテルが会場なのだが、じつはその場所に我々の「学び舎」があった。中学校一年生の時、夏休みだったか、学校でボヤ騒ぎがあったのだが、その後のある日、夜のあいだに学校が火事で焼けてしまった。昭和45年当時、相当古い木造の校舎で、別棟の教職員室の建物と新しい体育館だけが焼け残ったか? 古い便所も残った。その後、焼け跡にプレハブ校舎が建てられ、卒業式は体育館であったので、その辺は覚えている。そして学校は少し離れた別の場所に移転し、弟は新しい中学校で卒業した(たしか…)。
プレハブ校舎ができるまでのあいだは、地元小学校に間借りした。ボクの場合は卒業した〇〇北小学校の音楽室がホームルームになった。一年生の三学期が終わるまでだったろうか。そのあいだに札幌冬季オリンピックが開催された。1970年2月のこと。教室では掃除用の箒を使ってアイスホッケーのまね事をしたり、スキー・ジャンプの真似をして遊んだ。12歳、遊びたい盛りだったし、学年で分散された結果、クラブ活動も休止状態だった。軟式テニスをやっていたが、そもそも「テニスコート」がない。
オリンピックでは笠谷幸生らの「日の丸飛行隊」が70m級ジャンプで金銀銅メダルを独占し、アイススケートでは前の記事でふれたジャネット・リンが人気を集めた。古き良き時代、トア・エ・モアによる五輪テーマソングの『虹と雪のバラード』も流行りましたね。
11月の同窓会には今のところ参加するつもりだし、またこんな昔話をして当時のことを語り合うだろう。
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