村上春樹の文章から僕の下宿生活まで話が飛んでしまったが、ついでにこの頃のことを思い出して書いてみようと思う。かなり記憶があいまいになっているのだが…
自宅から通おうと思えば、近鉄・大阪環状線・阪急電車と乗り継いで片道2時間ぐらいの道程なのだが、親元から離れたかった僕は前の記事のとおり母が探してきた朝夕食付きの下宿に入った。大家さんの家の脇にある階段を上ると、狭い廊下の両側にたしか計10部屋あった。大半は3畳一間である。風呂は隔日くらいで(今から思えば夏の間など良く平気だったと思うが)銭湯に行った。たいていは3~4人で連れ立って夕食後に歩いて数分の「高羽温泉」(※)。下宿からはなだらかな下り坂だ。入浴料の他に洗髪料を払ってシャンプーしたと思う。風呂上がりにコーヒー牛乳でも飲んだかなぁ… 今のように一風呂浴び、晩酌しながらゆっくり晩飯、というのとは別世界。学生なんだから当たり前なんだけど。
当時は近くに神戸市外国語大学があり~こちらは大きな交差点を渡って上り坂になるのだが~このエリアにも銭湯(たしか「桜ヶ丘温泉」)があって、いつもの「高羽温泉」が休みの日などに行った。「桜ヶ丘温泉」のそばには定食屋があって、下宿の食事がない日の夕食は結構そこで食べた気がする(もちろん何人かで誘い合って)。この食堂で「トンテキ」なるものを初めて食べた。似たようなものを食べたことはあったんだろうが、厚い豚肉の切り身に驚いたのは確かである。
下宿の食事で感動したのは「ロール・キャベツ」である。一人ずつ小さなアルマイトの食器にケチャップ味のソースとともに入って出てくるのだが、「さすが神戸はハイカラやなぁ」と感動したものだ。カレーも旨かった。同じ食器にカレーだけ入って出てくるのだが、その日はお櫃のご飯がいつもの倍ぐらいの量食べられたのではなかろうか? お陰で夕食にカレーの出た翌朝は炊きたてのご飯が出てくる。逆に言うと、ふだんは前日に残ったご飯が冷たいままお櫃に入って置かれていて、味噌汁のみアツアツのが出てくる。そのため朝食の時間は部屋で寝たまんま、朝飯抜き、という人が結構いた。
数年前に大学でクラブの同期会をやったとき、昔住んでいた下宿あたりを歩いてみた。門を入っていくのははばかられたので、坂を上って周りから見たのだが、二階建ての下宿の建物は当時のまま残っていた。大震災の影響は外見上無かったように見えるが、窓の様子から下宿人はもういない感じがした。そりゃそうだろう、いまどきいくら家賃が安くても3畳一間に入る人はいないだろう。年月が経ち、大家さん一家もみな歳を取り、若者の面倒を見ることもできないだろうし。
いやはや、人の記憶というものは何と不確かなものか。ただ、食い物のことになると結構憶えているというのは、人間(あるいは僕)の本性なんでしょうか…
(※)インターネットで調べてみると「高羽温泉」は廃業したらしいのだが、場所が下宿から遠すぎる。名前の記憶違いだろうか? 1995年の震災や住宅環境の変化で多くの銭湯が廃業したのだろう。「桜ヶ丘温泉」は名前すら出てこなかった。
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