村上春樹の『雑文集』にオーディオと音楽についての話が出てくるが、僕の場合はどうだったろう。
小学生の頃は父の年の離れた弟(おじ)が家にいて自分の部屋もなかったのだが、僕が中学生になった頃には叔父も結婚して家を出て、弟と一緒だが部屋をもらった。その頃にソニーのトランジスタラジオを買ってもらったと記憶している。AM/FM/短波の入る3バンドラジオだ。それは1971年頃でビートルズはすでに事実上解散していた。
僕はロックよりももう少しポップな感じの曲が好きで、ミシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ」なんかがラジオからよく聞こえてきた。この曲は今、日テレ系YTVの早朝TV番組「す・またん」のなかで天気予報の時間に女声の別ヴァージョンで流れている。我々より上の世代では懐かしい曲だろう。
ちょうど1972年初めに札幌冬季オリンピックが開催され、トワ・エ・モアの歌うテーマ曲「虹と雪のバラード」がラジオからしょっちゅう流れていた。吉田卓郎がポピュラーになってきたのもこの頃で、「結婚しようよ」が大ヒットした。僕はモーリスのフォークギターを手に入れ爪弾いたりジャカジャカかき鳴らしながら歌っていた。月刊誌の『平凡』や『明星』には流行歌の歌詞とギターのコードが入った付録が付いていたものだ。このフォークギター、いまは部屋の隅でほこりをかぶって佇んでいる。ピックガードには中学生時代に想いを寄せていた女の子の名前がローマ字で刻まれている…
あと、ラジオは夜寝る前に良く聴いた。「ABCヤングリクエスト」など… それと、いわゆる「深夜放送」を聴くのが楽しみで、東京の文化放送やTBSも弱い電波で聴いた。キンキン(愛川欣也)が「パック・イン・ミュージック」をやっていた頃で、性に関する話題は思春期に入った僕の好奇心をくすぐったものだ。
ポルナレフ、懐かしいですね。70年頃はヨーロッパの曲も日本で結構流行っていたのですが、70年代の半ば(American top40がラジオ関東で流れ出したころ)から、ヒットチャートはアメリカ(+ちょっとイギリス)一色になってしまった気がします。そういう私もtop 40少年ですが、、、。FENできいたケーシーケイソンの声と「Casey's Coast to Coast」の掛け声が忘れられません。
投稿情報: 平田陽一 | 2011年9 月13日 (火) 21:36
そこからグリークラブの門をたたくまでの心境の変化を是非読みたいですねえ。ポルナレフとはまったく違う世界だと思ってしまうので。
投稿情報: カツオ | 2011年9 月13日 (火) 22:20
平田さん、
シルヴィー・ヴァルタンとかジョルジュ・ムスタキってこの頃でしたかねぇ? 「日本人の感性」に合ったものだったと思います。
FENはAMでも短波でも夜になれば何とか入った記憶があります。何せ奈良盆地なもんで… 前に記事にした「ウルフマン・ジャック・ショー」はFENで聴いたんだったかなぁ…
投稿情報: inukshuk | 2011年9 月14日 (水) 08:37
カツオさん、愛読ありがとうございます。
きっと「そこ」に戻ってくる(たぶん)と思うので、しばらくお待ちください。
中学時代、高校時代と「音楽遍歴」(まぁそんな大げさなものじゃないけど)がこの僕にもあるのですよ。
投稿情報: inukshuk | 2011年9 月14日 (水) 08:44
おっ、最近記事のアップが多いな。けっこうなことです。
深夜放送、自分もよく聞いた。
朝日放送の「ヤングリクエスト」には”仁鶴 頭のマッサージ”というコーナーがあった。
裏番組は毎日放送 桂三枝司会の「ヤングタウン」だった。
こういった番組をやっていた当時若手の噺家さんたちも、今では大御所ですからねえ。
時の経つのは何とも早いもの。
投稿情報: つのぶえ | 2011年9 月14日 (水) 15:13