この夏の初めに神戸のとある書店の店頭で見つけ、それから気になっていた村上春樹の『雑文集』をついにアマゾンで買った。その中でまず最初に読んだのが、ヤクルト・スワローズのヒルトン選手について書かれた「デイヴ・ヒルトンのシーズン」。村上春樹は大のスワローズ・ファンなのだが、この1978年は彼にとって大きな意味を持つ年だ。
その1:村上春樹はこの年のはじめに神宮球場のそばに引っ越し、小説(のようなもの)を書き始めた。そして神宮球場の外野席でスワローズの試合を観戦している時に「小説家になる」決意をしたと云われている。それは「天の啓示」のようなものだったと… このとき彼は29歳。そして翌年に『風の歌を聴け』で文壇にテビューした。
その2:ヤクルト・スワローズは球団創設以来29年目にして初めてのリーグ優勝を果たし、日本シリーズでも阪急ブレーブス(懐かしいですなぁ)を7戦目までもつれながら破り日本一になった。記念すべき年だ。
さて、1980年秋に書かれたスポーツ雑誌への文章の主役はスワローズの一番打者デイヴ・ヒルトン。僕もかすかに憶えているが、極端に体を前傾してバッターボックスに立つ選手だった(今では独特のスタイルの選手も少なくないが、当時は珍しかった)。その神宮での1978年の開幕試合の様子、そしてそのシーズンの活躍ぶりがそのアメリカ人選手と同い年の村上によって描かれている。
この文章の面白いところは、野球場の外でのエピソード。その年の日本シリーズが始まる直前の10月の霧雨が降る日曜日、村上夫妻は広尾のスーパーマーケットを出たところでヒルトン一家に遭遇した。ほころびたセーターを着たアメリカ人青年がスーパーマーケットの紙袋を持ち、肩には小さな男の子をのせ、傍らには少女のような奥さんがいて、幸せそうな家族がタクシーを拾おうとしていた。そのとき貰ったというヒルトン選手のサインが印刷されている。
日本シリーズでも大活躍したデイヴ・ヒルトンは次のシーズンは振るわず、その次の年は阪神タイガースに拾われたもののシーズン途中で解雇されたという。そのときに書かれた文章なのだが、彼に対する温かい気持ちが込められている気がする。
1978年は、「大杉ホームラン→上田監督執念の抗議」の第7戦があった年ですね。投手は松岡弘。印象に残る初優勝でした。
投稿情報: 平田陽一 | 2011年9 月 7日 (水) 21:27
平田さん、コメントありがとうございます。
僕もその当時はスワローズ・ファンだったのですが、詳しいことを憶えていないのです。
その辺のことは(その2)で書きたいと思っています。週末まで?待ってくださいね。
松岡弘、ホームランをよく打たれたけど、大好きなピッチャーでした、
投稿情報: inukshuk | 2011年9 月 7日 (水) 23:42
ヒルトンが阪神に移籍したのと同時に、大型新人として早稲田から岡田(現オリックス監督)が入団した。
当時は”岡田を起用すべし”というフロントと実績のあるヒルトンを使いたい現場との間でいろいろあったそうだ...
と阪神ファンのオレからツッコミを入れさせてもらいました。
そういえば、明日(9/9)から神宮で阪神との3連戦ですな。
投稿情報: つのぶえ | 2011年9 月 8日 (木) 23:40