Freddie Mercury は 1991年11月24日にエイズのため45歳で死去したということだが、僕が赴任のため渡米して19日後のことだ。その訃報は知らなかった。僕は3ヶ月先に家族を迎える準備のため住居を探したり自分の車を買ったり、最初の1ヶ月はあっという間に過ぎ去った記憶がある。そして Thanksgiving Day がやって来て、それが終わればクリスマスシーズンに突入。
僕の QUEEN の思い出は、高校生時代に僕が心を寄せていた女性が彼らの熱烈なファンだった、ということ。彼女とその親友?の女が「英国ロック大好き」みたいな感じだった。それは 1975年のことで、QUEEN 初来日の年だ。その年(僕らは高校2年生)の4月と翌年3月に来日して大阪でもコンサートを開催している。彼女Yさんと中学時代の同級生K(彼も同じ高校だ)が授業をエスケープして大阪公演を聴きに行った、との噂も聞いた。その音楽はやたらギターの音色がギンギンしている、ぐらいの印象しか持たなかった(Brian May のハンドメイドギターの話には興味を持った)が… 僕は依然、Paul Simon の音楽を追いかけ、プログレッシブ・ロックのバンド "YES" に興味を持ち始めた頃。またクラシック音楽もFMやレコードで聴くようになった。
さて、本題の映画の話に戻ろう。フレディが "Smile" というバンドにボーカルで加入し、メンバーと協業しながら音楽を作り上げて行くプロセスが描かれていて面白かった。そして、複雑な多重録音など常識外れの発想を実現していくなど、見ていて胸がすく思いがした。Freddie の私生活にスポットが当てられ、恋人 Mary との関係、彼の性的嗜好の表出が描かれている様、仲間たちとの別れと再結成、家族との関係など見ていて飽きさせない映画だ。
Freddie Mercury は彼自身が本名から英国風に変えた名前であり、彼ら一家はペルシャ系インド人でフレディが17歳の時にタンザニアからイギリスに渡って来たという。父は熱心なゾロアスター教徒。「父親との和解」的なシーンではホロッとさせられた。1985年の野外コンサート "Live AID" の場面でも映画館の観客はおとなしく観賞していたけどね。映画が終わっても静かで、感動で涙したのか鼻をすするような音さえ聞こえた。僕も静かに退場して車で帰宅。
ところで Freddie がソロ活動を始め、独りピアノに向かい、時間に追われて酒をあおりながら作曲する姿は映画『アマデウス』で描かれた、これも早世の天才作曲家 Wolfgang Amadeus Mozart を想起させた。
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