日経新聞連載のコラムも本日で第28回。終結も近いのだろうが… 昨日とその前は「タムラさん」との離婚にかかわる話。1992年頃といえば「バブル崩壊」による影響が出て、こんな話が日本中であったのだろう。
幸か不幸か僕は1991年11月に米国赴任。とくに1995年ぐらいまでは日本の情報に疎かった。ぼくのその方面に対する感度が低かったこともあるかもしれないが… Windows95が出てくるまでは、今のように世界中のニュースが瞬時にPC経由で入手できるなど想像もできなかった。おまけに僕が住んでいたNJ州のMahwahという田舎町ではケーブル放送での日本語番組は不定期でしか視聴できなかった。娯楽番組で「暴れん坊将軍」とか「ミュージックステーション」なんかが外国人向けチャンネルで週末に時間シェアして放映されていた記憶がある。1995年5月頃にWaldwickという町に引っ越し、ここで加入したケーブルTVではFNNのニュース番組をたしか朝7時から見ることができたが… その後1996年7月にカナダに転勤。その年末には念願のPCを買って自宅に据えたが、半ば「浦島太郎」状態は帰国する1998年10月まで続く。
湯川れい子さんの話に戻るが、僕自身が学生時代から日本のポップスや歌謡曲に興味を失ってきていたので、彼女が作詞家として活躍していたという話を聞いても、実はピンと来ないのだ。本日9月29日の記事は2011年3月の東日本大震災当時の話。やっぱり、この方は大物ですよね。かつてはビートルズ初来日の時に東京のホテルで(まあこの時はこっそりだけど)会ってるし、かのエルビス・プレスリーにラスベガスでタムラさんとの「結婚証明書」にサイン貰ってるし…
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