コンクールの会場に入る時にチケットを渡して「プログラム」を受け取る。事前に出演順や予定時刻を調べてから聴きに来ているのだが、この冊子には演奏曲目とか指揮者名などが印刷されており、1ページ目には審査員の名前や課題曲など大会の開催要領が記載されている。照明の少し落ちた座席では二日分の演奏プログラムをざっとチェックするぐらいだが… 第一日目の午後、休憩時間に後ろの方までパラパラとページをめくっていて、「演奏会広告」のひとつを見て息を飲んだ。
「平田勝先生追悼演奏会」 とき:2016年12月11日(日) 開演午後2時、ところ:神戸文化ホール 大ホール、とあった。
平田勝先生は神戸高校・武庫川女子大学で教鞭をとり合唱指導をされていた方だが、僕が大学グリーの4回生の時に、一級下の副指揮者A氏の関係(高校時代の恩師だったと思う)で客演指揮に来ていただいたことがある。1981年のこと、神戸で開催された夏の一橋大とのジョイント・コンサートで合同曲として男声合唱曲「岬の墓」(堀田善衛作詞・團伊玖磨作曲・福永陽一郎編曲)を、12月の定期演奏会でF.シューベルトの「水の上の精霊の歌」を原語のドイツ語で歌った。いずれもピアノ伴奏は当時、神戸中央合唱団のピアニストだった森本恵子さんだった。定演の録音はこの夏に入手したCDに入っていて、何度か通勤の車の中で聴いた。(言葉がカタカナのドイツ語で、音楽表現も恥ずかしいレベルだが…) 自分としてはアカペラからピアノ伴奏が入る時に音程が下がっていないかドキドキした「岬の墓」のほうが記憶に残っている。
コンクールの終わった二日後に思い立ち、グリークラブの名簿を見て過去に面識のある神戸の某合唱団員宅に電話した。あいにく本人は不在だったが、一緒の団で歌っているという奥様が電話に出て話をすることができた。コンクールでの健闘を称え、あわせて平田先生の訃報に接し(なにぶん兵庫県の合唱界から遠いので)先生の最期の様子など教えてほしい…と尋ねると、「老衰のような」という言葉が返ってきて驚いた。その後、ネットで調べてみると、先生は昨年11月にお亡くなりになったようだが、1921年(大正10年)のお生まれだから満94歳。兵庫県合唱連盟の最高顧問に就かれていた。1997年には関西合唱連盟の「長井賞」を受賞されている。僕が京都の合唱団に入団し、本格的に合唱に取り組んで幅広く他団の演奏を聴くようになるのは2008年頃からだが、先生はちょうどその頃に合唱界の表舞台から身を引かれたようである。
思い返せば、僕たちが学生時代に平田先生の指導を受けたのは先生が還暦を迎えられた年。節目の年に巡り合えた、ということでもある。あれから35年、自分自身がいまから35年先にどうしているかを考えると、この世にいるかどうか定かではない。今は遅ればせながら先生に対する哀悼の気持ちでいっぱいであるが、12月の「平田勝先生追悼演奏会」には神戸まで馳せ参じてフォーレのレクイエムを聴きたいと思っている。<合掌>
平田先生、懐かしいですね。最も印象に残っているのは4年の定演のこと。
シューベルトの「水の上の精霊の歌」だったけど、練習の時および当日直前のゲネプロの時に比べて本番になったらまったく違ったスローテンポで進めたこと。その本番では面食らったけど、我々興奮していたメンバーの感情をよく観察していただいて敢えてテンポを変えたんだと後で判明。なかなかできないことですが、プロの指揮者だなあ、と感服しました。
亡くなったのはつらいですが、お別れの会は平日のようなので行けそうにありません。東京から西に向かって黙祷することにします。合掌。
投稿情報: タニヤン | 2016年10 月21日 (金) 20:56
そうですか、僕はその本番でのテンポの変化とか全く覚えていないです。さすがタニヤンやなぁ…
追悼演奏会は12/11(日) 開催で我々が学生の頃に創団された"はもーるKOBE"が主催のようです。先日、同期のM君と会った時にこの件を話して、一緒に行くことにしました。
投稿情報: inukshuk | 2016年10 月21日 (金) 22:31