今日10月31日はハロウィーン(Halloween)当日だ。近年は日本でも例によって商売っ気の多いデパートがイベントを開催したり、都会では仮装した人々が街を練り歩いたり、認知されてきた行事であるが、僕は本場アメリカで暮らしたことがあるので、その思い出を書き連ねてみたい。だが、そもそも、日本にいるときにその行事を知っていたかな? 高校の英語の教科書?で "Jack-o'-lantern" が出てきたような気がするが、記憶が定かではない。
1986年の秋、会社から語学・業務研修で一年間アメリカに行かせてもらうことになった。その年の3月に結婚したのだが、会社からは「単身で行く」or「研修に行かない」かの選択肢しかないと申し渡された。しょうがないので結婚6か月にして単身で渡航。留学先は先輩方の経験から「カリフォルニア州などの日本人の多い場所は避けるべし」との方針があり、西海岸だがオレゴン州のCorvallisという町にある大学付属のESLになった。広い大学構内にある "West Hall" という22歳以上という条件付きの寮に入ったが、ルームメイトはミネソタ州から来た物理学の大学院生。パイプ煙草を吸う温和な性格の人だった。彼がTVを部屋に持ち込んでいたので、アメリカン・フットボールの試合を一緒に見たり、日常英語でわからないことなどを教えてもらったりした。たとえば今では十分日本語になっているが、パイプ煙草のにおいは"aroma"など… 実際いい香りがした。それと彼は "whole bunch of"(いっぱいの)というフレーズを連発した。
日本からCorvallisに行くには飛行機をシアトルで国内線に乗り換えポートランドまで飛び、そこからリムジンで2時間ほどハイウェイを走る。大変だったのは日本からの飛行機(ユナイテッド航空)が出発遅れで、シアトル=タコマ空港に着いた時にはポートランドへの乗り継ぎ便がすでに出発していたこと。なにぶんこちらは飛行機に乗るのが新婚旅行でタイに行ったとき以来二度目で、どぎまぎしたが、空港関係者は「ダイジョウブ、次ノ他社便ニ乗レルカラ」と日常茶飯事の対応。イースタン航空のA1という一番前の席に座った。はじめて Miller Beer を飲んだのを覚えている。「リムジン」というのは乗合のバンだったが、女性運転手だった。いまから30年前のこと、これにも驚いた。大学に着くとすでに事務所は閉まっていて、「金曜日だからもう帰らないといけない」という人にも親切にしてもらって直接寮に向かった。その初めてのアメリカでの週末もいろいろあったのだが省略…
ほどなく授業が始まったのだが、ひと月ほど経って「ハロウィーン」の時期になった。日本人もクラスに結構いて(20代の若者が多かった)、連れだってキャンパス内の「お化け屋敷」にも出かけた。普通の大学の教室だったろうが、真っ暗で怖かった記憶がある。週末のパーティーみたいなので「仮装」した。新聞紙で「兜」を折り、刀を作り、日の丸の入ったはちまきをして「サムライ」の格好をしたが、いま考えれば、TVのCMでやっている「桃太郎」みたいだったかもしれない。それでも一生懸命にやったので、アメリカ人には結構ウケた。あの頃の若者たちは今、どうしているのだろう。ひとりだけ年齢の近い(元スチュワーデスの)女性がいて、一緒に大学構内のホールで Oregon Symphony Orchestra (指揮は日本にも来たことのある James DePREIST だった)を聴いたり、彼女の知り合いのアメリカ人学生夫妻の家にも招待されて行ったことがある。アメリカ人と結婚したということも聞いたが、いまもあの国にいるのだろうか?
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