前の記事で触れた定期演奏会の音声ファイルの件は、演奏会冒頭の「商神」と最後のアンコール曲の分割に成功し、編集したCDを作成することも可能になった。その作業はこれからボチボチやっていこうと思う。
ところで、これまで僕がどういったいきさつでグリークラブの門をたたくことになったのか触れていなかったように思う。思い出しながら書いてみよう。
1978年の春、念願かなって神戸・六甲で大学生活とともに下宿生活が始まったのだが、せっかくの自由な時間をクラブ活動に使いたいと思っていた。もとより音楽好きなので、マンドリンやオーケストラなど音楽系のクラブが集まって開催された新入生歓迎イベントを聴きに行った。場所は教養部のキャンパスからいわゆる「六甲台キャンパス」へ行く途中にある「学生会館」のホール。余談だが、大学のキャンパス間の坂道・階段を徒歩で移動するので、あの四年間で足腰が相当鍛えられたかもしれない。2年間を過ごした賄い付きの下宿は六甲台の一段低い「工学部キャンパス」の裏門から続く坂道の下にあったし・・・
さて、混声合唱団「アポロン」には高校の(3年生の時に同じクラスだった)同級生の女性Yさんが入団していた。僕は一浪だが、彼女は現役で教育学部に入り、大学のそばではないが三宮近くでアパート暮らしをしていると聞いていた。「アポロン」が何を演奏したか覚えていないが、後ろの方で聴いていたら、複数の男性が取り囲むようにやってきた。グリーの人ですね。いわゆる入団の勧誘・・・ 「合唱に興味はあるのか?」という話から始まり、「混声合唱は男女関係がややこしい。男ばかりの方がクラブ活動としてやりやすい」「グリーは女子大と合コンがあるぞ」なんて話が出てくる。そして、「今日、これから時間があるならボーリングをしにいかないか?(昭和53年の話です)」などどいって身柄を拘束し、夕方からの練習見学に連れて行かれる、というパターンですね。僕の同期は合唱未経験者でこういった形での入団者が結構いた。
自分もフォークソングのハモりぐらいしかやったことがなかったが、なんとなく納得してグリーに入団した。天井の高い大教室(※)で練習をやっていて「倍音」が鳴ったのに感激したかな? 合唱の素人が多いので、毎日昼休みに教養部の大教室の教壇で「商神」やクラブの愛唱曲を歌ったりして練習した。ちゃんとした発声練習はなかったが、授業待ちの他の学生がいる前で歌声を出すのも恥ずかしくなくなった。
手元に現役時代の演奏の記録があるのだが、初舞台は1978年6月の「兵庫県合唱祭」。演奏曲目は「商神」と愛唱曲集から「希望(のぞみ)の島」「U Boj」である。ステージに立って歌うのはなかなか楽しかった。神戸大学グリークラブのHPの記録によると、この当時の団員数は総勢約70名。卒業年次には過去最多の88名を記録することになる。神大グリーのバブル期だった。
(※)当時は練習会場の「六甲台講堂」が改修工事中で、経済・経営学部本館の大教室を臨時に使っていた。いまや「出光佐三記念六甲台講堂」と呼ばれる講堂のステージでグリーが練習を再開するのは2年次の1979年からのことである。
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