6月7日(土)の午後、八尾の病院に入院していた母が亡くなった。弟から病状悪化の連絡があり、急いで車で向かったのだが、その途上で弟から「死亡確認」の電話が入った。大腿骨手術での入院中に脳内出血を起こし、口から栄養を摂取できなくなってから2年半。最近では見舞いに来た人が誰だか認識できなくなっていたから、この「お迎え」は8年前に他界した父が「そろそろ来いよ」と呼んだのかもしれない。
葬儀に当たって、セレモニーホールの担当女性から亡き母の人となりや得意だったこと、思い出を僕たち兄弟は訊かれた。「良妻賢母」であったし、洋裁や編み物が得意だった。家で天ぷらを揚げたり、プラスチックの型に入れた押し寿司を作ってくれたりした。この梅雨の時期に僕の誕生日がやってくる。小学生の頃は自宅に友達を招いて誕生会をしたものだ。近所の同級生(女の子は3人で男は隣のTちゃんだけだったか)といっしょに母手作りの「ちらし寿司」を食べた。錦糸卵や椎茸なんかが入ったシンプルなやつ。ボイルした海老は乗っていたかな? サイダーやオレンジジュースで乾杯していたのだろう。
大人になってからお刺身の乗った「ちらし寿司」に出会い~大阪で会社勤めを始めて昼食に出たが、どうやって食べたら良いか分からなかった~そのうちお酒も一緒に飲むようになったが、やはり子供の頃の母の味が懐かしい。ポテトサラダも当然、手作りだったよなぁ。僕が子供の頃は父の弟たちも同居の大家族だったので、食べさせるのに苦労しただろう。大きくなってからもお婿入りした叔父たちは実家によく帰って来て、一番下の(僕の兄のような)叔父は「義姉さんの干鱈をゴマ油で和えた一品は絶品だった」評す。
死んだ母のことを書くのにも食べ物のことがまず思い浮かぶのも俺らしいか・・・ そんな血筋である。
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