街ではビルや木々が華やかなイルミネーションに彩られ、「ジングル・ベル」の音楽とともに人々をクリスマス・ショッピングに駆り立てるような雰囲気~まぁ僕は週末ぐらいにしか街に出ないけど~であるが、その一方で、朝のFM放送ではクリスマス・オラトリオの中の静かなコラールが流れていたりする。
俗と聖、動と静みたいな対比がおもしろい。あるいは「お祭り」と「祈り」といった方がいいだろうか?本来は表裏一体のものなんだろう。日頃から思っていることなのだが、日本人には「祈り」の時間がほとんど無いのではないか? たとえば、日曜日の朝、教会で心静かに祈りを捧げる、といったようなことが… 年配の方だと、早朝に神社やお宮さんに参ったり、毎朝、仏壇に手を合わせる~祖母は元気な頃そうしていた~という人もいるかもしれないが、僕の周りではほとんどいないと思われる。住宅地の周りを散歩したり、ジョギングする人は見かけるけれども…
あるいは、家の中で独り静かに祈りを捧げていたり、思索に耽ったりしているのは外からは分からない。今でも早朝にAMラジオでは「宗教の時間」みたいなのをやっているのだろう。実は、僕が悩み多き高校生の時、ラジオのルーテルアワー「心に光を」を聴いて新約聖書を送ってもらったことがある。それは今も手元に残っているし、その頃、通信教育で聖書の勉強をしたので、知識としての(とくに新教ルーテル派の)キリスト教の心得はある。縁あってアメリカ滞在中に現地のルーテル教会 "Holy Cross Lutheran Church" にお世話になった。娘を保育園 (nursery school) に入れ、妻は聖歌隊 (choir) で歌わせてもらった。この件については別の機会に書きたいと思う。
お世話になったといえば、アメリカに最初に研修に行ったとき以来、クリスマスカードを書き続けているアンおばちゃんにまだ書いていない。「早くしないとクリスマスに間に合わない」と毎年思うのだが、今年は本当に遅くなるかもしれない。年賀状もはがきは買ったものの、図柄などまだ全く考えていない。コンクールの全国大会を聴き、友人の出演した合唱演奏会で『メサイア』(抜粋)を聴いた~演奏そのものはそれなりの出来だった~後、なぜだかクリスマス&年末に向けてテンションの上がらない今日このごろである。
世の中ではクリスマスというと若いカップル/子どものいる家族のための年中行事みたいだけど、inukshukさんのようにキリスト教に縁がある人は、これを機会に改めて聖書を読んでみるのはどうかな。
小生もこの季節になると、信者ではないけど読みたくなる。文庫本で持っているはずなんだけど、どうも見当たらない。皮肉なものだ。
投稿情報: つのぶえ | 2010年12 月13日 (月) 06:09
因みに、今年は母校の定演を聴きに行ったのでしょうか?まあ我々耳が肥えた人間にとっては、聴いてもあまり楽しめないものになっているのが悲しいですがね。
投稿情報: カツオ | 2010年12 月13日 (月) 18:15
カツオさん、定演は一週間ほど前の記事の「忘年会」とぶつかっていてXです。
何年か前の創部100周年記念のときは僕もステージに立って盛り上がりましたけどねぇ。たしかルミナリエ開催中でしたが、神戸駅前の居酒屋で同期と飲みましたね。
現役諸君には悪いけど、最近はちょっと足が向きません。
投稿情報: inukshuk | 2010年12 月13日 (月) 19:04
現在、日本聖書協会から刊行されているのは1987年「新共同訳」だと思う。(その前は1954年改訳の新約聖書と1955年改訳の旧約聖書)手元にあるのは、高校生の時に貰った「新約聖書」、その後、自分で買った旧新約「聖書」(ここまでは旧い口語訳)、僕らが結婚したときに妻が会社の先輩から貰った旧・新約の「聖書」とアメリカのチャーチ・ファミリーから貰った詩篇つきの「新約聖書」である。その本に挟んである栞には "JESUS is the reason for the Season" とある。
「マタイ」や「ルカ」は是非読み返したい。
投稿情報: inukshuk | 2010年12 月13日 (月) 23:52