著者レジナルド・ジョンストンはものすごく正直に自分の考え・意見を表明している。本書は宣統帝溥儀に献呈され、皇帝が序文を書いている(1931年満洲へ赴く直前に天津で書かれた<鄭孝胥による清書>というその原文の写真が収められている)のだが、第4章の宣統帝即位に関する記述では次のような箇所がある。
”新たに皇帝に即位した溥儀の父、醇親王は摂政王に任命された。一見しただけでは、この任命は当然であり、なるべくしてそうなったようにも思える。(中略)
しかしながら、この摂政王任命こそが、「老仏爺(西太后)」にとっての、最期にして最大の過失となった。(中略) 西太后の人の器に対する見識や明敏な政治感覚が、私の考えているレベルより劣っていない限り、次のような明白な事実を知らなかったはずがない。すなわち、醇親王の器では、シナの君主制という船の舵を取り、今にも船を呑み込もうと迫る荒波を乗り切る至難の大役を任せるには、あまりにも小さすぎると。”
ここまで書くかなぁ~。そのあとでも
”親王は善意の持ち主ではあるが、気乗りのしない無駄な方法で八方美人になろうとするため、誰も喜ぶものはいない。責任をとるのを嫌がり、事務的なことはてんでできず、どうにもならないほど精力がなく、意志力、気骨も乏しい。肉体的、道徳的にも勇気を欠くと思われても仕方がない。危機に臨んでも無力で、独創的な意見が何ひとつなく、口のうまい相手には簡単にはぐらかされてしまう。”
などと辛辣な書きっぷり。
ジョンストンは皇族の親王ではなく教養ある政治家の小集団からなる「摂政協議会」を設立すべきだった、と書いているが、それは当時の帝政末期の状況では実現不可能な話だったんじゃないかな。
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