Reinhold Niebuhrというアメリカの神学者が作った「祈り」だそうだ。英語では Serenity Prayer (静穏の祈り)。これを先日、前に勤めていた会社の同期S君と12年ぶりに会ったときに教えてもらった。翌日Wikipediaで調べてみると、だいたいこのようなものである。
O God, give us the serenity to accept what cannot be changed,
The courage to change what can be changed,
and the wisdom to know the one from the other.
日本語訳は、
神よ、変えることのできないものを受け入れる静穏を、
変えることのできるものを変える勇気を、
そして、これら(変えられるものと変えられないもの)を判別する知恵を与えたまえ。
となるだろうか。
この「祈り」はいろいろなヴァージョンで伝えられているそうだが、この話題が出たのは僕が仕事上の悩みを打ち明けているときだった。S君はクリスチャンだが、合併後の会社で職場が変わって大変な苦労をし、交通事故にも遭って、ついには会社を辞めざるを得なくなったそうだ。この12年間は年賀状の交換をするのみで、殆どS君の事情を知らなかったが、数ヶ月のブランクの後、ようやく最近になって再就職したとのこと・・・
秋葉原にある本当に小さな~いつ潰れてしまうとも分からない~会社で、あまりにも今まで経験した職場とは違うと話していたが、話しぶりは将来への期待に満ちていた。一方の僕は会社への不満を述べ、「行くところがあれば他の会社へ変わりたい」と訴えていたのとは対照的だった。もう一人同席したI君は大阪の小さな輸出商社に転職し、今の状況を受け入れているようだった。ちなみにI君は創価学会員である。
世間がお盆休みに入った水曜日の夜、かつての職場同期とおいしいものを食べ、おいしいものを飲みながら約3時間、互いの境遇を語らった。例によって僕は趣味の合唱についても話したが、S君はマタイ受難曲を歌う合唱団に入ったという。楽しい夜だった。
そして、僕は今、この「祈り」の言葉をかみしめている。アルコール依存症・薬物依存症・神経症克服のためのプログラムでも採用されている「祈り」だそうだ。
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