前回の記事で紹介した遠藤周作著の『イエス巡礼』の冒頭の章が「受胎告知」である。
ここでも遠藤氏は「クリスマスの夜、人間は集まって共に何かを求め、何かに祈ることができた。クリスマスや受胎告知がたとえ創作であっても、その創作の動機は人間の悲しみから生れたものであり、その創作は優れた芸術作品と同じように、事実よりはるかに高い真実だったのである。」と書いている。
自分の身に何が起ころうとも、それは主なる神の意志であり、それを甘んじて受け入れる、というユダヤ教を根っことする一神教の篤き信仰。これは何かとご利益を期待する一般の日本人には理解しがたいことである。ヨブやヨナの物語をはじめ、信仰篤きものが難儀を吹っ掛けられるのは旧約聖書を通じてのテーマであるような気がする。それでも主なる神に従うかどうか…
マリアは「受胎告知」を受け入れた。そのとき彼女にかけられた言葉が
Ave Maria, gratia plena; おめでとう、マリア、恩寵に満ちた方、
Dominus tequm; 主はあなたとともにおられる、
benedicta tu in mulieribus, 女性のうちで祝福された方、
というもので、"Ave Maria" として歌曲や合唱曲で有名な聖歌の出だしになっている。~ "Stella Musica" さんのウェブサイト http://www001.upp.so-net.ne.jp/stellamusica/index.html を参照させていただいた。
そして処女マリアは「神の子、イエス・キリストを産むことになる」という言葉に戸惑いながらも、「お言葉どおりこの身に成りますように」と運命を受け入れるのである。
異教徒はこの話を「虚構」ととらえるかもしれないが、あらためて聖書を読むとキリスト教とは壮大な世界ですなぁ。ここから数知れない偉大な芸術も誕生したわけですが…
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