彼は僕にとってスーパースターだった。中学3年生の時、生徒手帳の自分の顔写真を貼るべきところに雑誌から切り抜いたポールの写真を貼っていた。通学は自転車だったし、通学定期を買うために身分証明書を見せる必要もなかったので。でも、学校じゅう探して、そんなことをしている奴が他にいただろうか? タカウラ君がどうだったか憶えていない…
サイモンとガーファンクルはすでに解散していて、ポールはすでにソロ・アルバムを1972年に出し、シングルカットされた「母と子の絆」 ("Mother and Child Reunion") は結構流行った。レゲエを取り入れた新しいポップ・ミュージックみたいな感じで。僕はこの "Paul Simon" の中では「僕とフリオと校庭で」みたいなノリの曲が好きだったし、「ダンカン」や "Peace Like a River" みたいなアコースティックな曲も繰り返しレコードで聴いた。ギター譜も出版され、自分の部屋でひとりで懸命に練習した。アルバム「明日に架ける橋」は、いろんな雰囲気の曲を楽しめる名盤であるが、このソロ・アルバムはより「素の」ポール・サイモンが味わえる名盤だと思う。
こんな風にポールの世界にのめり込んだ僕は、クラスの仲間の前でもギター片手に英語で歌を歌っていたようだ。そんな機会がプレハブ教室であったのか? また、あるときは同級生の女子(「カバさん」というあだ名の付いた子)の家に上がり込んで歌ったようだ。はにかみ屋だった僕がよくそんなことできたと思うのだが、2年ほど前のクラス会でも証言があった。 "Scarborough Fair" とか"Homeward Bound"とかは歌った記憶があるのだが、同窓会でカラオケタイムになり、愛しのKちゃんから「○○くん、"The Boxer"を歌って!」と言われた時はびっくりした。そんな曲を披露したことがあったのだろうか? その時は「明日に架ける橋」で勘弁してもらったんだけど…
う~ん、二度と帰ってこない青春時代なんだけど、前半の中学生時代は結構楽しんでいたようです。受験勉強などろくにしなかったし、学習塾など行ったことなかったけど、英語はビートルズやS&Gの歌で十分すぎるほど勉強した(※)せいか、高校は最寄りの(一応、進学校といわれる)普通科に進むことができた。
(※)たとえば、WannaとかGonnaなんて口語は教科書には出てこない。
"I saw her standing threre." なんてのは例文に出てきそうだなぁ、
"Like a bridge over troubled water, I will lay me down." 良い文です。
"Cecilia"の歌詞はなかなかです。曲のノリノリ感も好きですが、"making love"は訳せない。
生れて初めて買ったドーナツ盤は、バイバイラブ/セシリアでした。
投稿情報: 平田陽一 | 2011年9 月15日 (木) 22:43
Bye Bye Love、たしかライヴ録音ですよね。
もともと Everly Brothers が歌った曲らしいのですが、ギターとデュオがいかにもアメリカっぽくて僕は好きです。
"I'm through with ~"という使い方も覚えましたね。
投稿情報: inukshuk | 2011年9 月16日 (金) 09:46