こないだの土曜日の午後に映画を見たら、また原作が読みたくなって、書棚にあった赤と緑の単行本を引っ張り出してきた。偶然にもクリスマス・カラーである。これはカナダに住んでいた頃、日本食料品店併設の古本コーナーで見つけ、安かったので買ったものだ。初版は1987年9月とあるから、この小説を最初に読んだのは公団アパートで第2の新婚生活(僕にもこみ入った事情があるのだ)を始めた頃。たぶん近くの公立図書館で借りて読んだと思う。その後、文庫本を買っているので、映画を見る前には少なくとも3~4回は読んでいるはずだ。
日曜日の午後に読み始めたのだが、昨夜のうちに下巻まで読了した。映画のイメージが残っているうちに読んだが、小説の方が圧倒的に素晴らしい。そもそも、比較することが間違いなんだろう… この小説のひとつのテーマは、
完全な人間なんかいない。人は皆、なにかしら不完全さを抱えながら生きている。
ということだろう。「自分はまともではない」と思っている人の方が「まとも」なのだ。そして、誰かを傷つけることなく生き続けることは不可能に近い。これは僕自身が経験してきたことでもある。これに耐えられず、自ら命を絶つ人もいるようだが… 僕も人に傷つけられ、人を傷つけながら生きてきた。それでも So far それほど悪い人生ではないと思う。
今回初めて気づき、ハッとした箇所がある。「緑」が「僕」に言う。
「人生はビスケットの缶だと思えばいいのよ」 「ビスケットの缶にいろいろなビスケットがつまってて、好きなのとあまり好きじゃないのがあるでしょ? それで先に好きなのどんどん食べちゃうと、あとあまり好きじゃないのばっかり残るわよね。私、辛いことがあるといつもそう思うのよ。今これをやっとくとあとになって楽になるって。人生はビスケットの缶なんだって」
思い出したのが、「フォレスト・ガンプ」で出てくる
"Life is like a box of chocolates, you never know what you are gonna get!" (人生はチョコレートの箱の様なもの、開けてみるまで分からない)
まぁ、ちょっと意味合いは違うんだけど、村上春樹はこのチョコレート箱の表現を知っていたのかなぁ? 彼ってこんな比喩的表現が絶妙にうまいから。
小説の終わりで、直子が死んだ後、レイコさんが東京に出てくるエピローグのようなところがいいね。大家さんに借りた鍋とコンロですき焼き食って、銭湯に行って、そのあとレイコさんのギターでワインとウィスキーを飲みながら直子の「お葬式」。僕にとってもビートルズは青春の想い出だ。なかでも「ノルウェイの森」とか「ヒア・カムズ・ザ・サン」とか「ブラック・バード」(これ、最近カバー曲も流行ったよね)とかいう系統の曲が好きだ。バッハやラヴェル、ドビッシーも好いよね。(このシーンが映画にはないので、「ちょっとレイコさんが可哀相」というところ)
最後のページは特に素敵だ。現代の若者たちにこのセンチメントが伝わるのかどうか分からないのだが、オジサンにはグッグッと来るシーンである。
映画の「ノルウェイの森」だけど、やっぱり来週中に見に行こうと思う。
いろいろ人の意見や評価を聞くのも大事だけど、最終的にはやはり自分が体験してどう感じるかだよね。
映画を見たら、その感想がいずれブログにアップされると思うのでよろしく。
当然の如く、映画を見た後は馴染みの店へ今年最後の挨拶を兼ねて飲みに行くのだ!
投稿情報: つのぶえ | 2010年12 月24日 (金) 09:01