さっきの記事では合唱講習会の中身を書いていなかった。少しだけ書いておこう。
ルネッサンス期の楽譜の表記には強弱記号もディナミクスの指示もない。ラテン語の言葉のアクセントはあるが、水がわき出て小川になり、滝になり淵になり、また大河となって滔々と流れるように、また「絹のスカーフが舞う」ように歌ってください、という指導があった。また、無理に恰好をつけて歌ってはいけない。自然に流れるように(ポリフォニーの場合は模倣により各パートが主役になるし)、横の流れを大切に、他のパートを感じて歌うように、と。 各パートが混じり合ってばらばらに、とか、一列に丸くなって、さらに壁の方を向いて、という練習を繰り返すうちに、とても楽に "sicut cervus" が歌えるようになった(気がした)。さすがプロの指導者ですねぇ。
最近、ルネッサンスものに限らず、「楽譜を良く読めば、作曲者の意図がわかり、言葉の力で曲の流れ(あるいはディナミックス)が自ずからできるはずだ」という趣旨のコメントを講習会や練習の場で耳にする機会が多い。逆にいうと、わざとらしく、あからさまに強弱をつけたりしないといけないような曲は、良い作品ではない、ということだろうか? (現代曲はまた違うんだろうが。) また、楽譜を深く読み取る力が指揮者に要求される、と。最近、そのへんのところが、なんとなく分かるようになってきた。以前は、一生懸命歌い、フォルテとは力いっぱい声を張り上げるものだと誤解していたのであるが・・・
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