表題の村上作品を図書館で借りてきて読んでいる。700ページ近くあるのだが、一週間で半分近くまで来た。
1995年3月20日に東京の地下鉄でオウム真理教によって引き起こされた「地下鉄サリン事件」について、その被害者たちに村上自身がインタビューして一冊の本にまとめたものだ。この事件があったとき、僕はアメリカの会社に出向していてNJ州に住んでいた。村上自身もこの当時、まだ滞米中でボストン郊外のケンブリッジかNJ州のプリンストン(僕の住んでいたところより南のフィラデルフィア寄り)に住んでいたのではなかったかと思う。
地下鉄サリン事件の映像をTVで見たかどうか記憶が定かでない。たしかケーブルTVでFNNの夕方のニュース番組が朝の出勤前に観られたのだが… 上九一色村のオウムの教団本部に警察の強制捜査が入ったときの映像はかなりしっかりと頭に残っている。これはいつだったろうか? 僕たち家族はこの夏、小さな庭のある一軒家に引越をし、翌1996年の7月(ちょうどアトランタ・オリンピックの開会式の日)に転勤のためカナダのトロント郊外に移った。
『アンダーグラウンド』が刊行されたのは1997年の春頃だろうか。1991年の11月に渡米して以来、1995年の1月に一時帰国(このとき奈良の自宅で阪神淡路大地震の揺れを感じた)、96年の1月に管理職昇格研修(米東部をおそった大雪のため役員面接には間に合わなかった)のため短期間帰国しただけで長らく日本の空気を吸っていない僕は是非この本を読みたかった。カナダではTVの日本語放送も入らず、日本の情報に飢えていた。日経新聞の衛星版は会社で購読していたし、インターネットの環境が良くなり、自宅でもアサヒ・コムなどでニュースは把握できたが…
そこで日本の本社にいた財務部の(3代前のカナダ駐在員でもある)先輩に頼み込んで本書の新刊を会社宛に送ってもらった。交換条件は当時日本ではまだまだ高価だったカナダ産メープル・シロップを何本か箱に詰めて送るということだった。
会社に送られてきた『アンダーグラウンド』を仕事そっちのけで貪るようにして読んだ。 "Treasurer"として個室を与えられていたし、正直言って大した仕事はしていなかったので… たぶん3,4日で読み終えたのではないかと思う。村上の本は大事にしていたのだが、この本は重いのと、他の日本人にも読んでほしくて日本食料品併設の古本屋で処分した。かわりに『ノルウェイの森』単行本の上下巻をここで入手した。
さて、今回は図書館で『村上春樹全作品 1990~2000』の分冊6を借りてきて読んでいる。インタビューを読み進むうちに、事件の状況や人の心の動きに感応してか自然と目に涙がにじんでくる。家の中で読んでいる分には良いのだが、いい年をしたオッサンが電車の中で目頭が熱くなり、ハンカチを取り出して… というのは何とも、である。
読み終えるまでにあと一週間やそこらはかかりそうだ。読んでいて感じたこと、考えさせられることがあるのだが、これは読了してからまとめて書いてみたい。
「アンダーグラウンド」、忘れられない作品です。
1995年の2月にアメリカから帰国。地下鉄丸ノ内線の霞ヶ関駅で下車して、内幸町にある会社へ通っていたのですが、3月20日は取引先へ行く約束があったため早めに出社。資料を準備して、8時過ぎに会社を出て、千代田線霞ヶ関駅へ向かったところ、地下鉄の入り口についたところで、駅員が地下から上がってきて、「爆破事件があったので、これから駅を封鎖します」、と告げられ、赤坂にある取引先まで歩いてゆきました。10時過ぎに取引先を出たところ、地下鉄は全て不通。何が起きたのかわからないまま、八丁堀にある次の訪問先へタクシーで向かいました。タクシーの中でラジオを聞いて、毒物が散布されたことを知りました。タクシーは中心部の封鎖地域を大きく迂回して次の訪問先へ着きました。八丁堀駅も多くの方が被害にあったところですが、どのような様子だったのか、思い出せません。その日は、その後どう過ごしたのか、どうやって帰宅したのか、これも思い出せません。ただ、安否を心配した家族と連絡を取り合ったことを覚えています。
現場のすぐそばにいたにもかかわらず、この事件と自分とのかかわりはこれだけでした。
この本を読んだのはずっと後、つい4~5年前ですが、未解決なものが深いところに残っている、そんな気がしています。
投稿情報: 平田陽一 | 2011年11 月 6日 (日) 22:31