この本も日曜日の夜に読み終えた。ルビが振ってあるが、現在では使わない表現も多く、今から百年前の明治の文章に取っつき難かったのだが、後半は勢いづいて半日で読んでしまった。物語の展開に勢いがあるというか… でも、「えっ、これがあの夏目漱石の『坊っちゃん』か? 漱石って、こんな文章も書いたんだ」との意外感が大きい。書きなっぐった小説という気がしないでもない。実際は全く違うんだろうが…
夏目漱石の小説といえば、記憶違いでなければ小学生の頃に「吾輩は猫である」を読んだ気がする。家のすぐそばに県立図書館があって、よく本を借りて読んだ。「シャーロック・ホームズの冒険」シリーズはお気に入りだったし、「東海道新幹線」(夢の超特急「ひかり号」の話)だとか「霞が関ビルはどう建てられたか」なんて科学物の本を好んで読んでいた。小学生のくせに「ラーメン構造」という用語を知っていた… その後、中学生時代はあまり本を読まなくなったかもしれない。(ずいぶん前の話なので記憶が曖昧であるが、そのころはスポーツや音楽に熱中していた時代である) 高校生になって現代国語の教科書に出てきた森鴎外の「舞姫」や漱石の「こころ」にひかれ、また教師や友人たちの影響もあって再び本を読み始めたのではなかろうか…
話が横道にそれたが、「坊っちゃん」という小説は過去に通読した記憶がなく、「あらすじ」のようなものや「赤シャツ」「マドンナ」といった登場人物の名前を知識として知っているに過ぎなかった。映画化やTVドラマ化もされたようだが、見たことがない。読み終えてみると「マドンナ」の描写ってあまりされていないんですよねぇ。誰かとの恋愛について話が展開されていると思いきや、地元の「なんとか小町」みたいな人が、婚約者の「うらなり」から相手を「赤シャツ」に替えた(彼の権力で強奪された)ということで、それをめぐる旧制中学校の先生たちのやり取りと主人公とのかかわりが描かれているようなんだなぁ。しかも、この「おれ」が曲がったことの嫌いな無鉄砲(小説の冒頭に書かれている)で、結局は赴任1ヶ月ほどで辞表を叩きつけて帰京してしまうという物語。そのなかで別れて東京にいる婆やの「清」のことを慮る「おれ」の心情が横糸のように織り込まれている。そんな感想を持った。たしかに四国の田舎の様子が面白おかしく描かれる場面もあり、話の展開から一般に「痛快物語」といわれることもあるようだが、根っこにあるのはやはりシリアスで神経質な漱石なんじゃないのかなぁ。これを機会に他の漱石の小説も読み返してみるかなぁ、と思う今日この頃である。
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